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Columnin the Roughの思いや活動をコラムで綴ります

書家 平野燿華さんインタビュー「筆と墨で心を表現する」第3回(連載全4回)

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9月10日から10月2日までIn the Roughで個展「時(とき)」を開催する書家、平野燿華さんへのインタビュー。前回は、書で思いを表現することになったきっかけと、その奥深さを教えていただきました。2回目となる今回は、これまでの平野さんの作品と、そこに込められた思いを伺います。

→第1回から読む

海での写真

芸術一家というわけではなかった

宮城県南三陸町という、リアス式海岸の一番下あたりの海沿いの街で育ちました。私が生まれた頃は志津川町という名前でしたが、平成の大合併で隣町の歌津町と合併して、南三陸町となりました。

祖父母と両親は、漁業と海産物を売るお店で生計を立てていました。お店が家と併設だったので、小学校高学年くらいからは、店番をしたり牡蠣の殻を捨てる手伝いをしたり。夏は、隣接する加工場からのウニの匂いが家に充満したり、冬だと、両親は朝3時頃から牡蠣を海から上げるために漁に出たりと、いつも海が身近にありました。「今日はおかず何もないからウニにしようか」とか「えー、今日もまた牡蠣?」みたいな。今考えれば贅沢ですよね。

我が家では、母があまり字が得意じゃないんですよ。父の方が上手でした。母が父に、わたしの持ち物の記名をお願いするのを見て、なんとなく「字は上手い方がいいんだろうな」と思っていました。隣に住んでいた大叔父が中学で書道を教えていたこともあり、漠然とですが、「そのうち自分も書道はやるんだろうな」と考えていました。父の特徴ある字は、「ザ・書き方のお手本」とは違いますが、味があっていいなあと、いまでも思いますね。

書にまつわる幼い頃の記憶はそのぐらいで、家族の中に芸術家肌の人がいるとか、インテリアにすごく凝った家、というわけでもないんですよ。そういうことに関してはごく普通の家庭。むしろ生活感溢れすぎる環境でした。ですから、誰か身近な人に影響を受けてアートの道を進もうと思った、とかもないんですよね。

南三陸の海

広い世界を見たい思いに駆られた学生時代

6歳のとき、小学校からの帰り道にもらった「書道教室開講」のお知らせ。その教室が家 から徒歩30秒のところだということで通い始めたのが、書道を始めたきっかけでした。と いっても、小学校から中学校までは夢中になっていたのは、そろばんだったんです。日曜 以外は毎日3時間くらい練習に明け暮れました。スポーツみたいに速さを競って、やればや るだけ点数が上がっていくトレーニングが、自分の性格に合っていたのかもしれません。 書道はというと、他の習い事の合間にバタバタと、週に1回30分程度。それほど情熱をか けていたというわけではありませんでした。 その頃、 そろばんの競技大会や他校生との課外活動で仙台に行くことが多かったのです が、家から仙台までは同じ宮城県内でも電車で2時間。しかも、仙台からの最終電車はま さかの17時台。友人たちがまだ楽しそうにしているなか、ひとり電車に飛び乗らなくちゃ いけないのが本当に苦痛でした。 さらに、地元の中学校はヤンキーさんが大いに活躍なさった時期で(笑)。何かに頑張っ て成果を出すということがあまりよく思われない風潮があったし、学校の先生からも「井 の中の蛙なんだから」と言われる状況が続いて、「なんだろう、この環境」ってずっと違 和感を覚えていました。 他校の友人との交流がとてもスムーズだったこともあって、自分 の地元が本当に嫌いな時期でした。 だから高校からは仙台に、と企んでいたんですが、父親から「高校までは親元から通いな さい」と反対されて、公立でありながら往復3時間かかる女子校に進学しました。「外に 出たい、外に出たい」と思っていたのに、「まだここにいなくちゃいけないのか」と思う と全てが嫌になってしまい、あんなに好きだったそろばんも書道も高校生になって全部や めてしまいました。 それからもずっと、「地元を出たい」という気持ちは大きくなる一方。「もっと大きな世 界を見たい。違う場所に行きたい」という思いがモチベーションになり、先生には無理だ と言われた大学に入ることができました。進学のために親元から離れ仙台に越したときは、 「あー、やっと自由だ!」という開放感はあっても、涙を流すことはありませんでしたね。

故郷への思いが蘇る

大学では、興味があった心理学を学び、空いた時間はサークル活動をして、バイトもして。とても充実した4年間を過ごしました。卒業後は、心理学をさらに学ぶために単身ドイツへ。最初は言葉の壁に苦労しましたが、3年もいるうちに、近くに海がないことが辛く感じるようになってきました。

大学時代は近くの海まで原付バイクでふらっと行けたし、実家も帰ろうと思えば帰れる距離だったので、自分の生活に海がないことがそれまでなかったんですね。だから、一時帰国をしたときに仙台から電車で地元に戻る際、トンネルを抜けて故郷の海を見たとき、初めてほっとしたんです。それまではそのトンネルを抜けた瞬間って「ああ、帰ってきてしまった」だったのが、「ああ、帰ってきたんだ~」に変わったんですね。あまり好きではなかった故郷が自分のアイデンティティになっていたんだと気づかされ、まるごと愛おしい安心できる場所なんだ、と思えた頃でした。

就職のために上京した後は、自分の故郷のことや、そこで美味しい牡蠣をつくっている両親達の仕事を多くの人に知ってもらいたいと思い、毎年バスをチャーターして友人達4~50人を地元に連れて行くツアーを組んだりもしました。船に乗って牡蠣の養殖現場を見たり地元の方々と飲み会をしたり。すごく好評で8年くらい続いたんですが、私自身も故郷の新たな魅力に気づくとてもいい機会になりました。これがきっかけで、南三陸町から「夢大使」に任命され、故郷をPRしたりしていました。

東日本大震災と、個展「ムコトバの世界」(2012年1月)

そうして過ごしているなかで、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。幸いにも、すぐに家族の安否を確認することができました。当日は全く状況がわからないながらも、「被害はあるだろうけど、テレビで報道されないということは大丈夫なんじゃないか」という少し楽観的な思いでいました。

翌朝のテレビで実家付近が空撮で映っていたのを見て、へたり込みました。自分が想像していた以上の被害で、家が流されたというよりも、町全体がなくなったのを見たとき、「もう自分が知っている故郷じゃない。こんなの違う!」と。今でも思い出すと泣きそうになっちゃいますね。2週間後に地元に戻ったんですが、海から徒歩3分の実家は、家の基礎だけ残して、建物は全部なくなっていました。実家の倉庫に保管していた私の作品は、一枚も見つかっていません。

被災した実家にて

震災後は、実家のいろんな手続きをしたり東京から現地に入るボランティアの方々とやり取りをしたりしていましたが、ずっと地に足がついていない感じがしていました。自分の気持ちと向き合うこともあまりできなくて、人にも攻撃的になったりして、本当に何が何だかわからないまま過ごしていましたね。

震災前には、結婚を機に勤めていた会社を辞めて書家として独立する準備をしていたのですが、それも手につかなくて、ちょっと投げやりになっていました。そんななか、「書の作品を出すチャリティイベントをしないか」と誘われました。やりますか、と重い腰を上げたものの、いざ作品を作ろうとすると、言葉を選ぶ段階でつまずいてしまったんですよね。

報道やSNSとかで「絆」とか「復興」とかを日々目にしていましたが、それらはとても現実を表しているようには思えなくて。かといって、自分の悲しみよりももっと大きな喪失感を味わっている人もいるなかで、自分の気持ちを表す言葉は軽々しいような気がして。
どの言葉を切り取っても嘘になりそうだなと。でも書の構成要素って言葉、特に漢字なので、何かを選ばなければ何も書けないわけで。いろんな思いが巡って、なかなか筆を取るまでに至りませんでした。

南三陸の町

その一方で、表現者としてこのタイミングで何かを書かないと一生書けないんじゃないかという思いもあり、とにかく紙に向かおうと決めました。震災で失ったものとか小さい頃の記憶とか、そういうものをただただ墨が流れるに任せてしまおう、無理に言葉を紡ぐ必要はないと。そんな思いで作品を作りました。

<個展紹介文より>

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ムコトバの世界
私の7割は海でできている 海を恨むことは自分の存在をも恨むこと
私の体の7割は海でできている 海がなければ私はここにいない 海がなければ私は存在しない
その海が奪ったもの その海が残したもの
私が表現できるのはそのかけら
すべての言葉が含む乖離をひとつのコトバであらわすことはできなくて
コトバのない世界で海への想いを墨にたくす

書家  平野燿華さんインタビュー「筆と墨で心を表現する」第3回(連載全4回)

「想い出」

水しぶきがあがっている様子を、墨の濃さや跳ね具合で表現した作品です。
小さい頃から生活は海とともにあって、私の思い出は全てが海に辿り着くんだと再認識しています。大嫌いだった海のある故郷を大好きになって、その故郷が海の猛威によって壊れてしまって。今は自分の中の故郷=海が自分にとってどういうものなのかを、時間をかけて書で表現できるようにしたいなと思っているところです。
(続く)

皆さんも自分の故郷にはさまざまな思いを持っていると思います。平野さんの場合は「海」がひとつの大事なテーマでした。小さいころ過ごした海沿いの町、そこから羽ばたいた大学時代、ドイツへの留学、そして帰国。そうして故郷の良さに気付くことができたのです。
そして2011年、震災が起こってしまいます。辛く悲しい経験をへて、書の表現も言葉を使わないスタイルに変わりました。
次回(最終回)は、震災後から現在に至る平野さんの気持ちや、今回の個展のテーマである「時」についてお聞きします。皆さんは、同じ1年間なのに昔より短く感じられることありませんか?
この「時」の感じ方を、平野さんも個展前に考えていたのです。

書展〜時〜

平野燿華 書展 〜時〜

2016年9月10日(土)〜10月2日(日)
10:00-18:00(初日のみ 12:00〜)
当日、平野さんがラベルロゴを担当された「おら酒 風神」も召し上がれます。

書家  平野燿華さんインタビュー「筆と墨で心を表現する」第3回(連載全4回)

【平野燿華さんプロフィール】

宮城県南三陸町出身。大倫書道会師範、日本教育書道藝術院師範科卒。6歳から書道をはじめ、22歳で師範を取得。大学卒業後、ドイツに留学し、勉学の傍ら大学や専門学校で書道講師を務める。帰国後、特許事務所に勤務した後に書家として独立。

ワークショップ 開催情報

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9月11日(日)※終了しました
敬老の日のためのカード作り
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伝えたい言葉を燿華さんが筆でしたためてくださいます。様々な色の台紙にシールなどで飾り付けをし、オリジナリティあふれるカードを作成しませんか?9月19日(月)の「敬老の日」の贈り物にもぴったりです。

*開催日時:9月11日(日)11:00〜16:00 時間中随時開催
*所要時間:30分
*参加費:1,500円(おやつ付き)

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9月22日(木・祝)
オリジナル年賀状を作ろう、筆で書こう!
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2017年、平成29年の干支は「酉」です。人に時を知らせるとりは「とりこむ」として商売などに縁起の良い干支であり、また「酉」は果実が成熟の極限に達した状態を表しているとも言われています。
来年が実り多き年となるように、「酉」の漢字の持つ意味に思いをのせて、来年の年賀状を書いてみましょう!

*開催日時:9月22日(木・祝)10:30〜12:00
*定員:8名
*参加費:3,000円(ドリンク付き)

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9月22日(木・祝)
ひらがなのルーツから学ぶペン字講座
「名前をひらがなで上品に書こう」
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日本人が使う三種類の文字(漢字、カタカナ、ひらがな)の中で一番最初に習うのが「ひらがな」ですが、書く上で一番バランスがとりづらいのも「ひらがな」だったりします。
この講座では、「ひらがな」がどうやってできたかを知り、上品に書くためのコツをお伝えします。
特にお子さんの名前を「ひらがな」で書くことの多い方や、お子さんに「ひらがな」の書き方を自信をもって教えたい方にもオススメです。

*開催日時:9月22日(木・祝)14:00〜16:00
*定員:8名
*参加費:3,000円(ドリンク付き)

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